わたしたちは、大切な人とのお別れにどう向き合えば良いのだろう?千葉 勝浦 妙海寺海洋葬「海の弔い」

海とともに生きる寺だから出来る新しい供養、
それが「海の弔い」です。

妙海寺  海洋葬「海の弔い」では
主に以下のような方々のお役に立てると考えています。

墓じまいでお困りの方終活の選択肢として自然葬をお探しの方急な葬儀でお困りの方

近年、先祖代々の墓の担い手がいないため、困っている方が増えています。
そんな方々の「墓じまい」の方法のひとつとして「海の弔い」をお使いいただけます。さらに老後を見据えた終活の選択肢や自然葬に興味のある方、急な葬儀の後、供養の方法でお困りの方・・・。皆様の思いに寄り添って、臨機応変に対応させていただきます。

第二弾
Coming soon

お気軽にお電話ください 0470-73-0399

妙海寺 海洋葬「海の弔い」では、
ひとりひとりが「大切な人とのお別れ」にきちんと向き合えるように、
3つのことに取り組んでいます。

一人一人の気持ちに寄り添います。

妙海寺は、「より良く生きる」に寄り添う寺を目指し、宗教宗派を超えて、一人一人の気持ちにしっかり向き合ってまいります。
※宗教宗派は不問ですが、読経など供養は日蓮宗の教義に基づいて行わせていただきます。

納得のゆく説明でしっかりと供養に向き合います。

随時、説明会を行い、わたしたちの考えを知っていただき、実際にわたしたちの海をご覧いただき、納得していただいた上で「海の弔い」を一緒に作っていきます。

一部納骨、一部散骨で散骨後も供養を続けます。

「海の弔い」ではご遺骨の全てを散骨せずに一部「光輪塔 分骨室」への分骨をお勧めしています。納骨した遺骨は、妙海寺が続く限り責任を持って管理、供養いたします。

「海の弔い」の流れ

説明会/ご相談 ご契約/お支払い 法要/墓地撤去 乗船/散骨 食事会/お別れ会

墓じまいの場合
費用は約40万円〜50万円ほどになります。

※内容はケースにより異なります。
※内容によって別途護待会費がかかります。
詳しくは、お尋ねください。

妙海寺の取り組みについて

本来、寺は葬儀の時だけのものではありません。

縁のある皆さんが、日々の暮らしの中で、コロロとからだを整え、「より良く生きる」ための場所でありたい、と私は考えています。

時代が変わり、寺の役割も変化してきました。
代々受け継いできたお墓のあり方についても、
今までのやり方では存続が難しくなってきました。
そんな時代に、寺はどのように人の役に立てるか

今を生きる寺として、変わらず人の役に立てる寺であるために
妙海寺では、3つの取り組みを始めます。

1.「墓地問題の解決」
墓地の問題を解決するために、新しい形の海洋葬「海の弔い」と合祀墓「結の廟」を始めます。

2.「場所づくり」
海、寺、人が繋がれる新しい広場を作ります。

3.「情報の発信」
SNSなどを使って、様々な情報発信をして参ります。

「場所づくり」に関しては、寺の境内でも海を気持ちよく見渡せる一番良い場所に、新しく広場を作って参ります。そこは、故人が眠る場所であり、海に還る故人を弔い、偲ぶ場所であると同時に、日々、地域の人や新しく寺と縁を持つ方々が、ココロとからだを整える場所でもあります。

この計画については、基本的な資金調達を終え、設計について専門家の方々と意見を交わして参りましたが、いよいよ2020年12月に完成を予定しています。

そして「場所づくり」の計画に伴って、新たにクラウドファンディングで、広く皆さんの協力を仰ぐことにしました。
この場所をできるだけ多くの人の手によって作り、皆さん一人ひとりが「私たちの場所」にして欲しいからです。
すでに大枠の工事については着工しておりますが、最後の仕上げとして、さらにこの場所を美しく、気持ちの良い場所にするために
・木々の植栽
・四季折々の花が咲く場所にするための草花の植栽
・夜間でも人々が集える照明

に関して、クラウドファンディングで多くの方々から資金の援助を仰ぎ、新しい広場の完成に向けて進んで参ります。

妙海寺住職 佐々木教道

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REDYFORでクラウドファンディング挑戦中

妙海寺について

美しい自然に恵まれ太平洋を眼下に望む当山は、潮の香りの漂う、その名の通り妙(美しい)海(に囲まれた)のお寺です。
その静寂で荘厳な雰囲気に包まれる中、法華経(お釈迦様)の教えにふれ、お参りすることは現代に忘れ去られた大切な時間の営みであり、自分の心を見つめなおすきっかけになるでしょう。正榮山・妙海寺(しょうえいざん・みょうかいじ)は室町時代初期 延文4年(1359)に日蓮宗の本山 茂原藻原寺 第五世 日海上人が、勝浦の出水に開創されたお寺です。

江戸時代 明暦2年(1656)に領主植村土佐守が浄土宗のお寺香花院創設に際し建築の都合上、移転を余議なくされ慧妙院日心上人の(植村玄藩の父)甚労により新官に移転し現在にいたります。